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V D G G 新作 [プログレッシヴ・ロック]

 ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターの通算12(ライヴ含む)枚目のALが出た.
 1969年の1stから紆余紆余曲折、39年を経ての新作。
 管楽器担当のDジャクソン氏不参加で,下方向に引きずり込まれるような感触は薄いが、
 ハミルさんは相変わらず凄いし、バントン氏のキーボードは手数多く、大活躍。
 エバンス氏の太鼓も元気に跳ね回る。1曲目は「ベンチャーズ?」ってカンジで
 ちょっとびっくり。基本的に1回なすった程度だと、全く耳に馴染み易くは無い。
 聞き込む程に知覚感性と音がかみ合って奥深いところまで到達できるようになる。
 そんなつくり。まとめようとしたり、気付かぬうちに丸くなっていた、
 というのとは、幸いにも丸っきり逆方向。
 大学在学時から始めた彼等の音楽活動は、還暦を過ぎても続いている。
 それも在り来たりのロック、ポップスでは決して無く、
 他に例のない世界を表し続けている。それが心底素晴らしい。

ヴァン・ダ−・グラフ68−08.jpg
 
 (上)2008新作「トライセクター」
/(下)1969作「ザ・エアゾール・グレイ・マシーン」

プログレッシヴ・ロック試案(2) [プログレッシヴ・ロック]

 前回、若い頃一時は、プログレなどほとんどそっちのけでパンク、ニューウエイヴを聴き漁った
 時季があったにもかかわらず、突き詰めれば必ずしも「パンク」というジャンルが
 好きだった訳でも無くて、アーチスト個別の表現に拠るところが大きい旨は記したが、
 これは所謂「プログレ」にあっても同じ構造があるようだ。

 その「プログレ忘却時代」にあっても、以前のものをある程度聴き続け、
 新作が出れば注意を払ったし、さらに来日コンサートにも足を運んだのが2つだけある。
 キング・クリムゾンとピーター・ハミル(ヴァン・ダ−・グラ−フ・ジェネレイタ−)である。 
 あと、そこまでではないがもう一人のピーター、つまりガブリエルのソロと初期ジェネシス、
 カンなど、一部ジャーマン系は結構聴き込んでいた。
 反対にほとんど聴かなくなったのが、ピンク・フロイド、イエス、EL&P、キャメル、
 フォーカスや一部イタリア系あたりか。
 
 最近改めて聴いてみると、一時期離れたり、食わず嫌いだったものでも、
 それなりに楽しめたり、時代との関連で良さや価値を見出せるものもある。
 ただ、今日、私にとって他に比類なく、圧倒的なのはヴァン・ダ−・グラ−フ・ジェネレイタ−と
 ピーター・ハミルではある。表現の濃度、密度が桁外れであると感じられる。
 ある意味、西欧文化・白人音楽(詩的、文学性も含めて)表現の最良のひとつと言って
 過言ではないと思われる。勿論、ただでさえ難解といわれ、訳者泣かせとされる詩の
 多くを深く理解しているとは到底言えず。あくまでもCD等に付く訳と、公式サイトで有志により
 地道に進められている翻訳を読んだ範囲に過ぎぬのだが・・・。

 言うまでも無いが、この素晴らしさはプログレだから云々では全く無いし、
 ロックであるかどうかさえも最大の拠り所では無いのかも知れない。
 「現在進行形の思想と音楽性を有する吟遊詩人」とでも言おうか?
 一応ハミルさんご本人は、スタートには(今年、還暦の筈)ブルース等も有ったと
 述べておられるようだ。また他方他のメンバーのジャズ的素養や、
 時代に沿った歩みの中で新たに吸収していったものも多いだろう。
 その結果の総体は、他に例えるものも見当たらないというのが実際のところか。

 画像(ハミル・3rdソロ/カン・フューチャ−デイズ) 
 


試案−プログレッシヴ・ロック(1) [プログレッシヴ・ロック]

 1977,1978の2年をちょうど受験期(美術大学・油絵専攻)とする自分は、
 その発祥の現場からは些か遅れて到来した、パンク、ニューウェーブロックに知覚・感性の
 かなり預けて自らを煽り立て、この次期、及び大学入学後も多くの時を過ごしてきた。
 それ以前はかなり熱心に聴き込んでいたプログレッシヴ・ロックはこの時季、
 封印されていたと言っても良いかもしれない。

 それがあの頃からほぼ30年、信長の言葉を借りるなら「下天の内を比ぶれば、云々」的
 見識も身に付くべき歳となりながら未だ、惑い狂い、転げ回っている私にとって、
 美術作品制作の最良の友はやはりロックなのであった。それもこのところなぜかまたよく、
 プログレを聴く。以前のつまり全盛期というべき70年代のものも、またその前後から
 不作の時代、80年代も含め、聴き落として来たもの、そして90年代以降、
 今日の新たな動向も気になっている。

 また一方、これと連動するかたちで浮上するのが、私は本当にパンクは好きだったか?
 という問いもあったりする。最も好んだ音、バンド、グループを思い返すとそれらは、
 現象としてのパンクム−ヴメントを最大の存在根拠とするものとは微妙にズレていることに
 気付かされる。これはお付合いいただいている先輩美術家・彦坂尚嘉さんとの共通の話題である
 ロックについての対話に寄るところも大であるが、彼が最近、ご自身のブログ上で、
 スージィー&ザ・バンシィーズはハイ・アートである、と論じておられたのが
 極めて示唆的であった。彼らにせよ、マガジン、テレヴィジョン、ジョイ・デヴィジョン、
 そしてキュア−に至るまで、これらのグループは破壊衝動とその時勢を拠り所とはせず、
 置かれ生かされた自らの世界観の構築を手放しはしなかった。いや、むしろその現状の在り方に
 積極的に、真摯に向き合ったアーティスト達であった。つまりはプログレ発祥の根拠、
 その存在理由との違いはそれ程大きいものなのか?という問いが生ずる。
 
 これらを鑑みて最近の状況を考えてみると現状下「世界観の構築」という視点から考えるならば、
 レディオ・ヘッド、ミューズ、ビッフィ・クライロといったグループ、バンドについては、
 パンク、ニューウエイヴ、グランジ的ベクトルのみでみるより、プログレの系譜の比重を高めての
 解釈がより的を得た考察に行き着く感を強くするものである。
 今後折に触れ、これらと今日にあってなお、堂々たる正統的プログレ後継者のごとく存在する
 アネクドテンやフラワー・キングス等、北欧のグループも視野に置いた考察を試みたいと
 考えている。
 
 

 上:レディオ・ヘッド/イン・レインボウズ 下:アネクドテン/ア・タイム・オブ・デイ
 CDジャケット 共に2007年発表作  


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