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試案−プログレッシヴ・ロック(1) [プログレッシヴ・ロック]

 1977,1978の2年をちょうど受験期(美術大学・油絵専攻)とする自分は、
 その発祥の現場からは些か遅れて到来した、パンク、ニューウェーブロックに知覚・感性の
 かなり預けて自らを煽り立て、この次期、及び大学入学後も多くの時を過ごしてきた。
 それ以前はかなり熱心に聴き込んでいたプログレッシヴ・ロックはこの時季、
 封印されていたと言っても良いかもしれない。

 それがあの頃からほぼ30年、信長の言葉を借りるなら「下天の内を比ぶれば、云々」的
 見識も身に付くべき歳となりながら未だ、惑い狂い、転げ回っている私にとって、
 美術作品制作の最良の友はやはりロックなのであった。それもこのところなぜかまたよく、
 プログレを聴く。以前のつまり全盛期というべき70年代のものも、またその前後から
 不作の時代、80年代も含め、聴き落として来たもの、そして90年代以降、
 今日の新たな動向も気になっている。

 また一方、これと連動するかたちで浮上するのが、私は本当にパンクは好きだったか?
 という問いもあったりする。最も好んだ音、バンド、グループを思い返すとそれらは、
 現象としてのパンクム−ヴメントを最大の存在根拠とするものとは微妙にズレていることに
 気付かされる。これはお付合いいただいている先輩美術家・彦坂尚嘉さんとの共通の話題である
 ロックについての対話に寄るところも大であるが、彼が最近、ご自身のブログ上で、
 スージィー&ザ・バンシィーズはハイ・アートである、と論じておられたのが
 極めて示唆的であった。彼らにせよ、マガジン、テレヴィジョン、ジョイ・デヴィジョン、
 そしてキュア−に至るまで、これらのグループは破壊衝動とその時勢を拠り所とはせず、
 置かれ生かされた自らの世界観の構築を手放しはしなかった。いや、むしろその現状の在り方に
 積極的に、真摯に向き合ったアーティスト達であった。つまりはプログレ発祥の根拠、
 その存在理由との違いはそれ程大きいものなのか?という問いが生ずる。
 
 これらを鑑みて最近の状況を考えてみると現状下「世界観の構築」という視点から考えるならば、
 レディオ・ヘッド、ミューズ、ビッフィ・クライロといったグループ、バンドについては、
 パンク、ニューウエイヴ、グランジ的ベクトルのみでみるより、プログレの系譜の比重を高めての
 解釈がより的を得た考察に行き着く感を強くするものである。
 今後折に触れ、これらと今日にあってなお、堂々たる正統的プログレ後継者のごとく存在する
 アネクドテンやフラワー・キングス等、北欧のグループも視野に置いた考察を試みたいと
 考えている。
 
 

 上:レディオ・ヘッド/イン・レインボウズ 下:アネクドテン/ア・タイム・オブ・デイ
 CDジャケット 共に2007年発表作  


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