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PORTISHEAD (ポーティスヘッド) [アート・ロック]


 イギリス、ブリストルのバンド、ポーティスヘッドが昨年発表した“3/THIRD”は
 面白いアルバムで良く聴いています。ひとことでは言い難いが、テクノ、
 ヒップ・ホップ系のスクラッチ音やサンプリングと、プログレッシヴ(英・独)、
 あるいはインダストリー的ノイズ等々。ことばで並べるとかなり食い合せの悪そーな
 これらの要素が絶妙なアレンジと、恐ろしく体温が低そーな女性Voの音声によって
 独自のサウンドに構築されています。

 1994年に1st「ダミー」(画像・下)でデビュー。基本的にコマーシャル的で無く、
 特に件の女性Vo、ベス・ギボンズは対人恐怖症的気味で殆どインタビューも
 受けないそうです。97年に2nd「ポーティスヘッド」(画像・中)発表。この翌年、
 ライブアルバムを出すが、ツアー疲れ等を理由にバンドとしての活動は
 殆ど行われなくなる。メンバーのソロや別プロジェクトでの活動がごくたまに
 聞かれるだけの状態が実質10年以上続きました。

 そんな中突如、昨年初夏に3rd(画像・上)が発表されました。
 時間的ギャップをモノともせず、音的には一段と深化を遂げています。
 余談ですが、1stも英本国では高い評価を受けていて当時盛況だった所謂
 「ブリット・ポップ」(個別のバンド、個別の作品では評価すべきところも
 散見しますが、私は基本的にこの動向は受け付け難いものが有りました)
 に対して「トリップ・ホップ」(本人達は嫌う) 代表作との認知がある作品です。
 で、この意外な影響が日本にも伝わったのでは無いか?という事を再認識したのが、
 “roads”などの楽曲で聴かれるベスの発声や音響です。数年経ってこの国でよく
 耳にした◯タダヒカルやら、◯ラキマイなんかの音は直接、間接にかなり影響を
 受けていると感じました。勿論◯タダの場合、NY経由とも考えられますし、
 本人の研鑽も有ったかも知れず、仮に周囲の意向としても、似ている事自体を
 兎や角言うつもりは有りませんが。まあ自分もだいぶ気付くのが遅かったね。

ポーティスヘッド.jpg

 
 


 



DEAD CAN DANCE [アート・ロック]


 和訳はどんなものだろう?「踊れし死せるもの」とかになるのだろうか?

 1981年にオーストラリア(これはあくまでも印象的にだが、意外)で結成され、
 ゴシカルでダークなポスト・ニューウェーヴ系のバンドとしてスタートするが、
 後には東西の伝承音楽の古層を掘り返し、今日の(その当時の)文脈で蘇生させたような
 独自の作品群(8枚のオリジナル・アルバムを発表)で、存在感を放ったグループ。
 巷の用語的にはワールド・ミュージックとかに当てはまるのか否か?
 1998年に一たん解散するが、現在は再結成(?)されたか、2005,07辺りの
 新たなライブ映像が観られる。

 かつてヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターは便宜上「プログレッシブ・ロック」と
 言うのは可能だが、実はロックかどうかも難しいところを感じる旨、記したが、
 このデッド・カン・ダンスに至ってはよりカテゴライズは難しいかも知れない。
 その屹立した調べは、古のどこかの風土、郷土の音の様でありつつ、何時ともつかず、
 何処のものでもない故に強く深く、魂を揺さぶるものとなっているかのようだ。

 画像は4枚目の作品“THE SURPENT'S EGG”のジャケットと、中心メンバーの
 ブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルドのポートレイト。

デッド・カン・ダンス.jpg



「くたばれ、インヴェーダー共」/神童 [アート・ロック]

 The PRODIGYの新作、“Invaders must Die”のことです。
 「カテゴリー」的に適当かどうかは判りかねますが。
 
 もともとダンス系アクト、バンドは疎いし、ロックでもそっち指向が
 強くなると熱心には聴いてこなかった(典型的なのがニュー・オーダー)。
 プロディジー自体も90年代半ば、多分“The Fat of The Land”以前の認識では
 一聴してのキンキン、ブリブリした音触から「ジュリアナ」的チャラさ、
 キワもの、イロものっぽいイメージが付いて廻っていたように思う。
 
 ただ、現実にはアルバムデビューからで17年余、その前の所謂レイヴ・シーンの
 パーティー屋的活動からはほぼ20年に渡るキャリアが有りながら、新作での
 相変わらずの尖り具合はたいしたものです。
 恐らくは踊れることは前提としながらも享楽性、甘美さだけには決して流れず、
 今の現実への怒り、異和感の芯が通っていることによるのでしょう。
 結果、たいていのハード、パンク・ロックよりも不穏でケムタさ、ヤバさ、
 殺伐感が著しく高い表現になっていると感じます。特に生は観ていませんが、
 ライブ映像、PVなどでその感はいっそう強く伝わるように思います。

プロディジー.jpg





 

「地獄地図最新版」/ワルい宗教 [アート・ロック]

 タイトルは結成以来四半世紀を越すキャリアを持つ、アメリカ、カリフォルニアの
 パンク・ロックバンド、BAD RELIGIONの“new maps of hell”のベタな和訳。
 
 2007発表で目下のところ最新のこの作品に、過去からの代表曲のアコースティック
 バージョンを加え、さらにDVDで二十数曲の昨年のライブ画像、アコースティック
 バージョンの制作の様子やインタビュー。新曲三曲のPVなど、盛り沢山の豪華版が
 海外版のみだが昨年出た。これが聴き応え、見応え充分で楽しめる。

 かって彼等を揶揄する言い方で「どこを切っても金太郎飴」的なモノもあったが
 それは正確では無いし、まただいたい1〜2分のスピーディーな曲を連続して
 叩き付ける展開は多分に意識的なものであったろう。今回改めてアコースティックでの
 演奏を聴くと、美しく、豊かな情感に満ちた多様な構成を感じさせる曲も多い事に
 気付かされる。80年代初頭から活動を始めた彼等は1988年のサード「サファー」で
 広く知られる事となるが、その前の一時期、活動停止に追い込まれている。
 原因は現在は封印されたかたちで日の目を見ないセカンドアルバム
 「イントゥ・ザ・アンノウン」で、そこそこ人気のあったファーストとは全く異なる
 シンセサイザーを多用したアプローチを執ったことが裏目に出たためとされる。
 まあ、ある意味どんなものか気にはなるのだが・・・。
 先述した連続即効(速攻?)的展開はこの反省とある意味プロとしての外部へ向けた
 決意の顕れであったのだろう。
 
 1976〜77のニューヨーク、ロンドン中心のパンク・ムーブメントと、むしろ
 80年代に入ってから活性化するアメリカの他の地域のそれとは自ずと異なる性格を
 持つ。都市部の困窮し、行き場の無い若さの衝動を最大の熱源とする前者に比べると、
 大学で生物学の博士号を取り、大学で講義を持つバッド・レリジョンのボーカルで
 リーダーのグレッグ・グラフィンや、音楽性はポスト・パンク的ではあるが、
 同時期デビューのREMのマイケル・スタイプも芸術系だが、やはり大学出である事や
 どちらのバンドも詩が難解とか、やれネイティブでも辞書が要る、説教臭いetc・・・
 などといわれる辺りも共通している。所詮は余裕のある高学歴白人層の道楽が発端と
 見る事もできるのだが、それ故に落ち着いて社会を見る目と、強い表現欲や発言衝動が
 矛盾無く同居している。これ故、両者とも長続きしているのか、あるいはそもそも
 衝動で終わらず、長く続けることでの達成が織り込まれている表現なのか?
 ここいらは判然としないが、破壊的、暴力的衝動では済まない社会の中での継続的な
 異議申し立てを「知は力なり」を持って実践してきたことこそ評価、賞賛したい。

 いずれにせよ根っからのパンク原理主義者とは異なる自分としては肌に合うのかなと
 思っている。「インテリ職人パンク」なんてのはハナから形容矛盾だし、これを
 アート・ロックというかどうかはわからないが、姿勢の美しさ、清々しさは確かに
 伝わってくる存在なのである。同時に自らの作品発表のために立ち上げたレーベル、
 エピタフはインディーズながら成功を収め、ここからペニーワイズ、ランシド、
 オフスプリング等が育っていったことは周知の事である。こうした面での貢献も
 他に並びの無い実績と存在感の源となっていよう。

 そういえば今回のアルバム中の“new dark ages”はじめ、多くの曲がやはり
 ブッシュ政権下のアメリカの空気を映したものとなっている(発表時は2007)。
 いまのオバマ政権に変わってその空気はどう変わったのか、それを彼等はこれから
 どう見てどう考え、どのような作品とするのかが楽しみである。今年春の
 パンクスプリングやNOFXとの共同公演などで来日する彼等だが、注目はやはり
 次の作品かなと思っている。

地獄地図最新版.jpg



MIDLAKE “The Trials of VAN OCCUPANTHER” [アート・ロック]

MIDLAKE.jpg

 画像はテキサス出身の5人組バンド、ミッドレイクの2ndのジャケ。
 2006年秋の発表だったからほぼ2年経っている。ずっと気になりながらも
 ちゃんと聴いたのは最近。
 まあこうゆう世界観の音である。タイトルのヴァン・オキュパンサーとは
 森に棲む厭世家の科学者の名である。
 メロウで美しいメロディ、既に一般的な批評に有るCSN&Yなど、
 70年代アメリカの雰囲気やよりフォークやカントリー等、ルーツミュージック的な
 流れも含んではいる。
 但し全編を通してしばらく聴き込んでいくと立ち現われるて来るのは
 紛れもなく今日的なもの、例えばレディオ・ヘッドやアラブ・ストラップの持つ
 寂々とした感触に通ずるものが奥に潜んでいる。それはかすかなざらつきというのか、
 あるいは深淵の煌めきとでもいうか、伝え難いがそういうものの残る作品である。
 M5はかつてのアメリカの「名前の無い馬」をなぜか思い出した。
 「アメリカ」繋がりではS&Gの同名曲の詩も連想できるか。
 M7もプログレばりの展開でやや長尺だが、歴史の中の幾多の兵士達の
 目を通して見たような景色が浮かんで来る佳曲だと思う。


スカーズ・オン・ブロードウェイ [アート・ロック]


 システム・オブ・ア・ダウン(SOAD)はアルメニア系アメリカ人4人による
 ロックバンド。社会的メッセージ性の強い詩をハードコア・プログレ・メタル・
 オペラチック・民族音楽調ロック(何だそれ?)で展開する。極めてユニークな
 バンドだった。2005年以降活動休止状態で残念に思っていたが、昨年Vo.で
 リーダー格のサージ・タンキアンがソロを発表。これもなかなか良かった。
 そして今年、SOADにおいて楽曲面でのもう一方の核,Gu.Vo.のダロン・マラキアンと
 Per.のジョン・ダルマヤンの新バンド、スカーズ・オン・ブロードウェイ(SOB)が
活動開始。デビューCDも発表された。一言でいえば1曲ずつが幾分短く、シンプルに
 作られたSOADと言っても差し支えなさそうな仕上がり。以前のような
 2人のVo.による起伏や緩急にはやや欠けるが、凝縮感があり聴き応えも充分で
 遜色は無い。このまま行くか,SOAD再結成があるかはわからないが、
 いずれにせよ楽しみな連中なのである。

SOB.jpg

 上:スカーズ・オン・ブロードウェイCDジャケット
/下:システム・オブ・ア・ダウン「メズマライズ」同











V.D.G 日本公演 [アート・ロック]


 ヴァンダー・グラーフ・ジェネレイターがついに来日。昨27日を皮切りに来週まで
 各所で公演が続く。明日から忙しいのでなんとか初日の東京公演(渋谷O-West)を立見。

 アンコール1回含め、約1時間50分はあったか。あっと言う間に感じたが
 しっかり濃い内容で充実した公演だった。 
 最新作「トライセクター」と70年代の代表作からを取り混ぜての演奏。
 往時のメンバーでは唯一、管楽器のデビット・ジャクソンさんが欠けているが
 演奏そのものにもの足りなさは無い。まあその分、キーボードのヒュー・バントンさん
 の手数(フットペダルのベースも含め)は増えてるかも知れないし
 ピーター・ハミルさんが弾くエレピやギターの比重も増しているのは確かだろう。
 新作ははなから管抜きだった分、アンサンブル的にも例えばディストーションを
 効かせたハミルさんのギターも結構はまっているように聴こえた。他方旧作で
 ジャクソン氏のパートだったところのカヴァーにまわったと思しきとこでは
 不器用さもかいま見えたがこれも自分にとっては微笑ましい。
 それは「歌う」か「唄う」か、または「詠う」か「唱う」なのか?あるいはその全部かも
 知れないハミルさんのパフォーマンスは、ことばと音の関わりをに可能な限り
 敏感かつ大胆に切り結んでゆく。それはたいそう不安定で振幅の激しいものであり、
 職人的な音作りとは正反対なのだろうと推察される故でもある。
 ハミルさんは3年程前、心臓疾患で倒れたと伝えられてもいて、元気な姿が
 嬉しい反面、あまり無理して欲しく無い気持ちもあったのだが、昨日のステージを
 観る限りますます意気軒昂のようだった。新作の曲は1曲ずつは以前のものよりは
 短めが多いのだが,いずれにせよその音声に衰えは見られない。
 バントン(眉も白くなられたが)さん、パーカッションのガイ・エバンスさん
 (良いガタイだ)も完璧であった(むしろ若い頃より良い点も有ろう)。
 まあ総括して素晴らしかった。行って良かったと思っている。

V.D.G08.jpg

 V.D.G近影・左からガイ・エバンス(per)、ヒュー・バントン(key),
ピーター・ハミル(voその他、下は同じくハミルのソロ、
           2006年のシンギュラリティより)




 

 

MAGAZINE [アート・ロック]

magazine CD.jpg

 マガジン。70年代末、パンクロック第2世代というか、所謂ニュー・ウェーヴと
 いわれたバンドのひとつ。
 画像上は2nd、下が1st。マンチェスターでロンドンパンクの影響も有って生まれた
 バズ・コックスの創始者の一人、ハワード・デヴォートを中心に77年に結成。
 81年迄の間にライブ含め4枚のALを発表。
 リアルタイムではほとんど目にすることのできなかった最盛期の映像も、今なら
 you tubeで見る事ができて改めて思うが、まあかなり突然変異的な性格のバンドと
 いってよいだろう。
 クラウス・ノミとプーチンを足して2で割ったような形相のデヴォートのVoは
 シアトリカルで語り部的であり、他のメンバーも技量が高く、アンサンブルも
 特にセカンドでは厚い。Keyのデイヴ・フォーミュラはプログレのキーボード奏者
 さながらに囲まれた機材を扱い、Bassのバリー・アダムソン
 (黒人、後にニック・ケイヴらと活動)の奏法は伸びやかな高音を活かし、
 トニー・レヴィンや、スタンリー・クラーク、フェルナン・ゾンダースをも連想させる。
 後にバンシィーズの最盛期に貢献するジョン・マクガフのギターの音色も
 メリハリに満ちて素晴らしい。
 尤も当時はこのあたりが逆に「シンセを使っててパンクっぽくない」とか
 「曲が長尺」などの批判も呼んだ。当時は「そうかなあ?他に無い音で良いがなあ」
 くらいに思ったものだが、今思えば大きなお世話である。P.I.Lや、ポップ・グループ
 その他ような、突き抜けた新しさがわかり易く伝わるものではなかったし、
 あの時代の「プログレっぽいのダサイ、人非人」的空気故のことであろうが
 (美術でもそういうのは有ったな。美大時代は「絵画」はなんか肩身狭かったし、
  「具象性」有ろうものなら人非人的な雰囲気ね)。
 私としては、短い間ではあったが、やはり他に比類無きアート・ロック足り得た
 グループだと思っている。ディス・ヒート、スージー&ザ・バンシィーズなどと
 ともにその表現は未だ古びず、むしろ触発される「なにか」が聴こえてくる存在です。





 




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