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デヴィッド・ボウイ 一周忌 [アート・ロック]


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デヴィッド・ボウイ (タイトル加筆修正) [アート・ロック]

 またしてもすっかり更新の間が開いてしまいました。
だいぶ遅ればせですが、今年もよろしくお願いいたします。

 地元藤沢で企画、作品発表を続けている「藤沢今昔
・まちなかアートめぐり2016」も、充実感を持って
終わることが出来ました、等々近況も綴って始めようかと
思っていたら、たいへんショックな訃報が・・・・。

 デヴィッド・ボウイ氏が亡くなったとのニュース。
聴き始めた中学生時代はちょうどグラム・ロックの全盛期。
その後のアメリカ時代、ベルリン時代を経て、1980年代までの
作品はほぼ全て愛聴してきた。80年代半ば以降「ちょっと違うかな?」
という感じでしばらく離れていたが、2013年の「ネクストデイ」の
素晴らしさには驚かされ、続く新年1/8発売の新作「★」も楽しみに
していました。
 デヴィッド・ボウイがいなければ、あるいはその表現、作品がなければ、
今日存在しなかった事物がいかに多いことか。ことロック・ミュージックに
限ったとしても・・・。日本のビジュアル系なんとかなんか、影もかたちも
なかっただろうな。

 心よりご冥福をお祈りします。

 ジャケットのみですが幾つか・・・
ボウイ4 2.jpeg
 スペ−ス・オデェティ(1969年 時代を考えるとそのコンセプト斬新さに驚かされる。)

ボウイ1 1.jpeg
 ロウ(1977年 ベルリン3部作の一作目、ブライアン・イーノ、ロバート・フィリップ
との共作、個人的にはアルバムとしては最も印象深い) 

ボウイ2.jpeg
 ヒーローズ(1977年 ベルリン時代、イーノ、フィリップも参加の二作目、
表題曲は当時まだ有った、ベルリンの壁際で見た恋人たちに触発されたと言われている、
ボウイの曲で最も知られているのは「レッツ・ダンス」だと思うが、このアルバムの
ロングバージョンこそベストだと思う)

ボウイ3s.jpg
 ネクストデイ (2013年 素晴らしい復活作。今にして思うとこの頃既に、
彼は自らの終焉をみていたのかも知れないと考えされられます)

※ タイトルはじめお名前表記について、若い頃からの話し言葉そのままに
 「デビット・ボウイ」などと書いておりましたが、「デヴィッド・ボウイ」の方が
 発音的に正しいようです。ロッキングオンなどの表記もそのようで、
 3/6付けで修正いたしました。
 なお、ボウイ生前最後の作品 ★ (ブラックスター)はやはりとてつもない傑作でした。





 

John Frusciante の表現 [アート・ロック]

 John Frusciante(ジョン・フルシアンテ)の音楽が面白くて、
このところ良く聴きます。昨年末に脱退したが、御存知レッチリ
(Red Hot Chili Peppers)のギタリストとして長年(2度)に渡り
活躍してきた人です。レッチリ自体は嫌いじゃないがあまり真剣には
聴こうと思わなかったバンド。しかし現時点での最新作(2006年)の
ベストセラー作、Stadium Arcadiumはエンターテインメントとしては
傑作であって。初期のおふざけキワモノ的路線からメンバーのドラッグ禍
(ヒレル・スロヴァクのオーバー・ドーズによる死。その後加入した
フルシアンテも90年代、6年間の脱退時には鬱と薬物依存で極めて深刻な
状態であったことが知られている。その後必死のリハビリで98年に復帰)など、
紆余曲折を経て辿り着いた一つの頂点であることは確かで、そこにはアメリカの
ショービズ、ひいてはその根幹にあるアメリカ社会とその欲望を映し出していると
思います。
 ただ、同時にこの作品を非凡なものとしたのはやはりフルシアンテの演奏表現、
編集の力であると感じられるのです。そんなことや、一昨年の
ロッキング・オン12号でのインタビューが興味深かったこともあって、
彼のソロ作品を聴くようになった訳です。そのインタビューでも、あるいは
実際のCD作でもわかるのですが、たいへん音楽的キャパシティーが広く(深く)、
また実際、演奏技術の高い人です。18才でレッチリに加入する前に、
その音源の殆どを完全コピーしていたとか、それ以前にもフランク・ザッパの
オーディションで最終選考まで残ったとか、明らかに神童なのですね。
これはファンク等の黒人音楽やジャズ系に通じていたでしょうし、その後、
マーズ・ヴォルタとの共演に見られるプログレへの接近。フガジとの交流にも
顕著なパンクスピリット。さらにクラシックの宗教音楽や音響系、現代音楽の
影響も聞くことができます。リスペクトするミュージシャン(特に精神面で)として、
ディペッシュ・モードのマーティン・ゴアとデイヴ・ガーン。
そしてヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターのピーター・ハミルを挙げています。
 「ポスト・ロック」という単語は既によく見かけるものです。フルシアンテは
少なくともレッチリの文脈ではそうとはとらえ難いのですが、ソロ作品での
表現は間違いなく、真のポスト・ロック史に身を置き、一たん相対化された地平からの
果敢な構築を、音楽(そこには個人の人智を超えたものやことわりが存在するとたびたび
発言している)に謙虚に向き合うところから行っているように観じられるのです。

エンピリアン.jpg

 上、2009作のザ・エンピリアン。大傑作。下は2001年、レッチリ復帰後初のソロ。
 ほぼ一人で宅録のようだが、繊細な息づかいが伝わるドローイング的秀作。

ÉAÉ^ÉNÉVÉA.jpg

 2004年には1年間で共同プロジェクトを含めて7枚ものCD作品を発表するが、
 上はその内、フガジのメンバー等とのプロジェクト、アタクシアのもの。この折、
 本人がPILの影響に言及していたが、確かにそのとおりの音。下はこの年、最初の
 発表作、シャドウ・コライド・ウィズ・ピープル。ポップで馴染み易いがやはり傑作。

 

 





LES CLAYPOOL(元PRIMUS)のソロ作品 [アート・ロック]

 1990年代半ばあたり、よく聴いていたバンドにアメリカ北西部出身の
PRIMUS(プライマス)があった。最近CDの入っているラックを整理して改めて
気付いたのだが、90年代に入るとそれまでと比べてそれまで多かった
イギリスのアーチストのものが減って、アメリカのものが増えてくる。
特に自分はブリットポップ的動向を受け付けなかったため、特にオアシスだ、
ブラーだパルプだヴァーヴ(サタケじゃない)だetc・・・以降は
その傾向ははっきりしてくる。具体的にはその後、レディオ・ヘッド、ミューズ、
ビッフィ・クライロやフランツ・フェルディナンド、フューチャー・ヘッズらに
出会うまでその傾向は続いた。
 また、この時期は諸々の状況や精神状態もあっただろうが、アメリカものと言っても、
ルー・リード、ソニック・ユースやREMなど以前から継続してきたものはともかく、
この時期新たに出会って聴き込んでいたものは必ずしも多くない事もまた、
後になって気付くのだが、ほぼリアルタイムに熱心に聴いた数少ないのが、
Beckを除けばこのプライマスだった。
 「技巧派の変態バンド」とか「ファンク・メタル」とかいわれていた記憶があるが、
極めて定義しにくい音だと思う。カバー曲で取り上げている指向にそれは顕著で
ピーター・ガブリエルやキング・クリムゾン。またXTC、ポリスもやってるし、
メタリカにスタンリー・クラークetc・・・。共演となるとトム・ウエイツが印象的か。
まあ何とも正体不明である。ビデオやジャケットなどのデザインワークも
凝ったつくりで時にグロだが、実に刺激的で楽しめるものが多かった。
 この中心がリーダーにしてベースとボーカル担当のLes Claypool(レス・クレイプール)。
本人はラッシュのゲディ・リーの影響を語っていたようだが確かにあの手の、
もっと遡ればジョン・エントウィッスル(ザ・フー)やクリス・スクワイア(イエス)
にもいきつく、バリバリ、ビタンビタンのリードベースを弾く。しかもそれで歌唱も
ほぼ全てをこなす恐ろしさである。個人的にはこの時点で考え得る凡そ全てのロック、
ポピュラーミュージックシーンを視野に入れ、尚且つ独創性を保ち得た希有な存在だったと
評価できる。
 98年頃に「昼寝」だかなんだかと言って、事実上プライマスは活動停止。
「つまんネな〜」と思いつつ、その後セッションぽい活動等耳にはしていたのだが、
チェックし落としてきた。先日、久々に探すとここしばらくでソロが2枚(2006,09)、
プライマスとしても03にビデオ作品をまとめたDVDとともに数曲新曲があるようだ。

 下の画像のジャケは09年の作品。印象は過去幾度か共演したトム・ウエイツに
似た感触を覚えた。どこか深くルーツミュージックに根ざしていそうで、同時に
正体不明ぶりもまた極まって来ている。確かにプライマスにあった
「奇妙だがスピード感がかっこいい」ことによるわかり易さは減った
(あるいはそこには依拠しない?)。しかしながら聴くたびに発見はある、
所謂「噛めば噛む程・・・」になっているようだ。しばらく愛聴しそうだし、
今後もたいへん楽しみなのだ。

クレイプール・フンギ・・・.jpg

 あとさらに下、プライマス時代もちょっと。
上は「ポーク・ソーダ」(おぇっ!/93年)この中の曲「クリンクルさん」の映像、
ほぼ百鬼夜行。95年の「ワイノナスの大きな茶色いビーバー」の
「カウボーイの着ぐるみ」と並んで最高。
下のお菓子のパッケージみたいなのは97年の「ブラウン・アルバム」
音的には一段と隙がない。1曲目をはじめて聴いた時、ひきつりました。

プライマス.jpg







Midlake “The Courage of Others” [アート・ロック]

米、テキサス出身のロックバンド、ミッドレイクの新作が出た。
タイトル“The Courage of Others”は直訳すれば「他者の勇気」か。
前作“The Trials of Van Occupanther ”からは3年半ぶりくらいだろうか。

まあ相変わらず・・・。ジャケからして前以上に
「何時の時代のどこのどなた?」している。
音的にはフォーキーなロックという点では共通点もあるが、
前作がアメリカのルーツミュージック的感触が顕著だったのと比較すると、
今作はむしろイギリスのトラッド系の影響が感じられる。連想したのは
ペンタングルとか初期ストローブスあたりだが、実際メンバーからはこの他に
フェアポートコンベンションとかスティーライ・スパン、
アメイジング・ブロンデルなどの名が挙げられている様だ。

メインソングライターのティム・スミスは「古いものが好き」と言うし実際、
明らかに厭世的で、隠遁や逃避的なムードは音にも詩にもある。しかし後ろ向きな
ばかりかというとそうではない。この表現は最近聴いたものの中で飛び向けて
「人と社会あるいは世界を律するもの」に忠実であろうとしているかの様だ。

[カレッジ・オブ・アザーズ]訳(解説書より)
他の人々のような勇気を僕は持てないかもしれない
君に近付こうとすらしないだろう
常に様々なことを気に掛けているようにと教わったんだ
自分ではコントロールできない沢山のことを

どうすればあんな勇気を持てるのだろうか
絶えて久しい君主の勇気を

それは彼らの手の内にある、それは彼らの頭の中にある
それは長年に亘り、彼らの血に脈々と流れ続けている
それが彼に悲しみをもたらすんだ
暗い部屋で独りで震えている彼のもとに


ロックやポップスにありがち(と見られがち)な「勘違いな自由や開放感」とは
真逆な表現。それをあえて今、やること自体に込められた意思の強さを
感ぜずにはいられない。彼らには皮肉かも知れないが、私から見てこれは立派な勇気。
たいそうな傑作だと思う。こうした精神性を背後に持つ音楽表現、アーティストというと
国も世代も異なるが、結局深いところで通ずるのはvan der graaf generator
(Peter Hammill)だったりするのかな?などと考えさせられている。

なお、このところの気候は寒さ続きだが、聴くときは暖かい環境をおススメします。
一聴した限りではやわらかい、オーガニック音触にもかかわらず、実は先述した精神性故に
やがてどこか張りつめた、ヒヤッとするものが全身に伝わってくるのです。
(下画像・ジャケット)

midlake_courage~J.jpg







 


EDITORS.MUSE新作、あるいはOASIS崩壊 [アート・ロック]

 ロックの話です。
 現時点で、今年発表の作品を聴いてきた感想で言うと、
それなりに変化の大きな年だったようです。 

 アメリカではニューヨークを中心とした(ウィルコやベテラン、
ソニック・ユースやヨ・ラ・テンゴなど例外は有るが)動きが
顕著で、新人(昨年デビューだが)MGMTや、あるいは地道な活動から
大きく浮上してきたグリズリー・ベア、アニマル・コレクティブ、
ダーティ・プロジェクターズ等の活躍が目立ちました。
明らかにオバマ政権下のアメリカのロックはブッシュ時代のそれとは大きく異なった
様相を示しつつあるようです。こちらはまた、書く機会をつくりたいのですが、
今回は英国の方が主題です。

 かたやイギリス。夏の終わりのギャラガー兄の脱退宣言に端を発する
オアシスの活動停止は、あちこちで大きく取り上げられてきました。
正直これに関して私個人は割と「まあそんなもんだろ」的な感想しか持ち得ません。
90年代半ばの所謂ブリット・ポップは、凡そピンとこなかったのです。
カート・コバーンの自殺という悲劇はありつつもアメリカのオルタナ、ローファイ
(ベック、ペイヴメント)や、ネオ(?)パンク(バッド・レリジョン、NOFX、
ランシド、オフ・スプリング、グリーン・デイ等)らが、明らかに社会との関わりの
必然で鳴っていた状況と比べて、英国のそれは多くがどこかで聴いたことのある、
たとえギャラガー兄弟のいかにも「ロック・スター」然とした、曰く付きの素行が
再三聞こえてきつつも、基本安全な音、わかっていることの再解釈、という感が
拭得なかったのです。オアシスにあっても幾つかの馴染み易いメロディーは
有りますし、ブラーやパルプの軽妙洒脱さ、ヴァーヴの虚無感等、聴き返せば
それなりですが、それまでを歴史的に覆すものは見出し難いというのが実感です。
これはさらに、95〜97年辺りに、明らかにそれらとは異なる文脈で現れた
レディオ・ヘッド、モグワイ、ポーティス・ヘッド、プラシィーボなどを
見て来ると明らかになります。これらとともに、2000年代始めの10年を、
さらにこの先を指し示しつつ在るのはMUSE、EDITORS、そして恐らくは、
今月新作の出るBIFFY CLYROらなのだと感じています。特別な根拠、確証とは
申しませんが、例えば1969年はそれまでのロックの崩壊と再構築の顕在化した時と
言えましょうし、1979年はわずか3年前からのパンクムーブメントから、
ニュー・ウェーブへの移行。すなわちやはり、破壊、リセットの後再構築だったと
考えられるのですが、現在進行形のこの流れもどこか、これらと類似した構造が
観得る事によります。もちろんこれは圧倒的な情報化に伴う音楽産業自体の変遷や、
先述したアメリカ社会の変化もまるごとも含めた考察まで 視野に入れなければ
結論付けもできませんが、今後、少なくともロックミュージック(特に英に在っては)は
明らかに、ある種新たな構築性が課題となるのではないでしょうか?尤もそれは同時に、
(米のバンドですが過去、存在自体が批評性を帯びているので)来年再結成して、
何と来日まで予定されているペイヴメントに象徴される脱力、脱構築も
対となってのことと言えるのですが。


エディターズミューズ.jpg

  

EDITORS [アート・ロック]

 英・バーミンガム近郊出身のこのバンドは2005年にCDデビュー。
 07年の2ndとあわせてアルバムは2枚。今年あたりそろそろ新作が期待される。
 傾向としては2000年代前半顕著だったポスト・パンク、ニュー・ウェーブ・リバイバルの
 中に位置づけることも無理ではないが、地味目でありながら確実に他に無い特色を
 持っている良いバンドだと思います。
 初めて聞いたのは1stからのシングル「ミューリック」で、一言でいえば
 「ジョイ・ディヴィジョンの末裔」でした。ベースラインや、何よりボーカルで
 リーダーのトム・スミスの声質によるところが大きいでしょう。
 その後2nd “An End Has A Start”を聴いてそれだけではないところが観得てきました。
 1st “The Back Room”の時点からそうですが、基本的に生真面目で真摯な姿勢が
 詩にも良く現れています。2ndの1〜3曲目、邦訳すると「病院の外でタバコ吸う人々」
 アルバムタイトル曲「終わりにも始まりはある」、「世界の重さ」の流れは素晴らしい
 ものです。特に3曲目の「人生のあらゆる断片は/最後にひとつになる」という言葉は
 サウンドの大きな特色、「マンドリン?」と思うくらいの震えるようなギターの音色と
 (奏法の名前は知りません。かつてU2やエコー&ザ・バニーメンにも近い音は
 有ったかも知れません)相まって強烈な印象を残します。インタビューでは
 メンバー達は好きなバンドとしてREMや、新しいところではザ・ナショナル
(NYのバンド「フェイク・エンパイア」は名曲)あたりを上げていました。なるほど。

 下は例によってジャケです。上が2nd、下が1st。
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昔は「淫獣魔人」だった!(加筆) [アート・ロック]

 Iggy Pop(イギー・ポップ)はやはり絵になるな。
 実は音的には長く、多くを聴いてきたアート・ロックの始祖と
 言ったら、やはりV・アンダーグランドとその後のルー・リード、
 ジョン・ケイルだったのだが、イギーの初期、STOOGES(ストゥージズ)も
 聴き返すと実に興味深い。「元祖パンク」的言われ方もするが、確かに猛烈な
 破壊衝動とケムたいヤバさが十二分ではあるが、音楽性の幅、奥行きは
 相当なもの。イギーが還暦すぎて今なお、現役を張れる底力はこの頃から
 潜在していたのだと感じる。
 なお、ストゥージズのギタリスト、ロン・アシュトン氏は今年の1月に
 亡くなられた(享年60)。もっぱらソロ活動だったイギーが、原点に立返って2007に
 再結成し、アルバム1枚を発表。さてこれからが楽しみ、というとこだったのに
 極めて残念です。ご冥福を祈るばかりです。

 画像はストゥージズの3rd、ロー・パワー(1973。この始めての邦盤化の折のタイトルが
 迷珍訳?でその名も名高き「淫獣魔人」でした。なお昨年にも再発があって、ここでは
 わざわざ「淫力魔人」と名付けています)と1999年(52才、もう10年か!)のソロ、
 アヴェニューBのジャケ。

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CONSTANTINES/ハードコア経由アートパンク? [アート・ロック]

 カナダのオルタナティブシーンで活躍するバンド、CONSTANTINES
(コンスタンティンズ)の昨2008年(現地では4月、日本版は晩秋)発表の
4作目、KENSINGTON HEIGHTS(ケンジントン・ハイツ)が良くて聴き込んでいます。
トロント出身で2つのパンク、ハードコア系のバンドが合体してスタートしたそうですが、
既に10年選手です。豪放かつ繊細、構築と野放途、ポップさとザラつきさ加減が
予定調和的で無い展開を示して迫って来てくれる、かなり希有な存在です。
詩もなかなか広く深く、温故知新に現在進行形でロックのことばが
記されているようで今後も楽しみです。

画像は上・ケンジントン・ハイツ。下・トーナメント・オブ・ハーツ(2005)ジャケ

コンスタンティンズ.jpg

  

sonic-youth : the eternal [アート・ロック]

エターナル.jpg

 ソニック・ユースの新作“ジ・エターナル”がリリースされました。
前作“ラザー・リップド”からほぼ3年ぶり。前のが端正というか、
ある意味かなりそぎ落とされた印象の音だったのに比べると、
一聴しただけで厚み、膨らみ、多様な感触があります。
元ペイヴメントのメンバーの加入で、4人だった前作との違いが出たところも
あるのでしょうが、何か一巡しての再構築の深度、強度が増したみたい、というのが
率直な感想です。特に冒頭2曲、ぶっ飛ぶ程カッコいいです。そんなに沢山
聴いていないけど、今年の新作中では今のところ文句無く最高。

エターナル2.jpg

 「ヘイ、ジョニー。お懐かしや」(左下、元NY・ドールズ、元ハート・ブレーカーズの
                 故・ジョニー・サンダース)
 
  ドールズや、ラモンーズへの敬愛は彼等はたびたび語っているので意外では無いです。
 ただ、ソニック・ユースはそれらの先達以上に、どれだけノイジーにやかましく、
 けたたましく歪んだガレージロック的奏法を奏でても、それら二つのロック史的に
 重要な存在という範疇を超えて「アート」以外の何ものでもない存在感を示し続ける
 不思議さに考えさせられるものがあるのです。
  内ジャケも含めたアート・ワークの豊富さも奇麗で嬉しいですね。
 あえてCDという盤(レコード)の、この媒体ならでは特性を活かそうという
 姿勢にも思えます。
  過去の名作。例えばすぐ思い当たるのでは、ルー・リードの“ベルリン”や、
 イーノの“ビフォア・アンド・アフター・サイエンス”あたりは音の素晴らしさを
 歌詞カードの冊子とか、水彩画集風のリーフレットが倍加していたと記憶しています。
  こういう試みは今後も廃れて欲しく無いし、いずれ参加するとか、手がけてみたいと
 すら思います。 
 
 
 







 
  
     
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