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EDITORS.MUSE新作、あるいはOASIS崩壊 [アート・ロック]

 ロックの話です。
 現時点で、今年発表の作品を聴いてきた感想で言うと、
それなりに変化の大きな年だったようです。 

 アメリカではニューヨークを中心とした(ウィルコやベテラン、
ソニック・ユースやヨ・ラ・テンゴなど例外は有るが)動きが
顕著で、新人(昨年デビューだが)MGMTや、あるいは地道な活動から
大きく浮上してきたグリズリー・ベア、アニマル・コレクティブ、
ダーティ・プロジェクターズ等の活躍が目立ちました。
明らかにオバマ政権下のアメリカのロックはブッシュ時代のそれとは大きく異なった
様相を示しつつあるようです。こちらはまた、書く機会をつくりたいのですが、
今回は英国の方が主題です。

 かたやイギリス。夏の終わりのギャラガー兄の脱退宣言に端を発する
オアシスの活動停止は、あちこちで大きく取り上げられてきました。
正直これに関して私個人は割と「まあそんなもんだろ」的な感想しか持ち得ません。
90年代半ばの所謂ブリット・ポップは、凡そピンとこなかったのです。
カート・コバーンの自殺という悲劇はありつつもアメリカのオルタナ、ローファイ
(ベック、ペイヴメント)や、ネオ(?)パンク(バッド・レリジョン、NOFX、
ランシド、オフ・スプリング、グリーン・デイ等)らが、明らかに社会との関わりの
必然で鳴っていた状況と比べて、英国のそれは多くがどこかで聴いたことのある、
たとえギャラガー兄弟のいかにも「ロック・スター」然とした、曰く付きの素行が
再三聞こえてきつつも、基本安全な音、わかっていることの再解釈、という感が
拭得なかったのです。オアシスにあっても幾つかの馴染み易いメロディーは
有りますし、ブラーやパルプの軽妙洒脱さ、ヴァーヴの虚無感等、聴き返せば
それなりですが、それまでを歴史的に覆すものは見出し難いというのが実感です。
これはさらに、95〜97年辺りに、明らかにそれらとは異なる文脈で現れた
レディオ・ヘッド、モグワイ、ポーティス・ヘッド、プラシィーボなどを
見て来ると明らかになります。これらとともに、2000年代始めの10年を、
さらにこの先を指し示しつつ在るのはMUSE、EDITORS、そして恐らくは、
今月新作の出るBIFFY CLYROらなのだと感じています。特別な根拠、確証とは
申しませんが、例えば1969年はそれまでのロックの崩壊と再構築の顕在化した時と
言えましょうし、1979年はわずか3年前からのパンクムーブメントから、
ニュー・ウェーブへの移行。すなわちやはり、破壊、リセットの後再構築だったと
考えられるのですが、現在進行形のこの流れもどこか、これらと類似した構造が
観得る事によります。もちろんこれは圧倒的な情報化に伴う音楽産業自体の変遷や、
先述したアメリカ社会の変化もまるごとも含めた考察まで 視野に入れなければ
結論付けもできませんが、今後、少なくともロックミュージック(特に英に在っては)は
明らかに、ある種新たな構築性が課題となるのではないでしょうか?尤もそれは同時に、
(米のバンドですが過去、存在自体が批評性を帯びているので)来年再結成して、
何と来日まで予定されているペイヴメントに象徴される脱力、脱構築も
対となってのことと言えるのですが。


エディターズミューズ.jpg

  
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